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多様なスペースシェアで街のにぎわいをつくる ~軒先株式会社 代表 西浦明子氏インタビュー

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西浦明子氏(軒先株式会社 代表)

西浦明子氏(軒先株式会社 代表)



(編集注) 本記事は、2020年3月16日に取材しました



「シェアリング」という概念自体が珍しかった2008年に創業し、国内スペースシェア分野のパイオニア企業、軒先株式会社は、誰でも簡単にお店が開ける「軒先ビジネス」をはじめ、新たな駐車場のシェアシステム「軒先パーキング」、既存飲食店の空き時間を活用して開業できる「magari」など、多様なスペースシェアサービスを運営しています。上場を視野に入れ、事業拡大中の同社代表取締役、西浦明子氏にお話を伺いました。 




■青春のほとんどを南米に捧げた20代



――プロフィールからお伺いします。大学時代はどんな学生でしたか。


割と勉強好きな学生でしたね。上智大学でポルトガル語を専攻しました。もともと語学が好きだったのですが、帰国子女ではないんです。英語圏からの帰国子女はたくさんいて、その分野で抜きんでることは難しかったですね。ニッチなところで一番になることが好きなタイプで、選ぶ人が少ないポルトガル語を選びました。


実はポルトガル語をマスターすると、スペイン語も比較的マスターしやすいんです。標準語と大阪弁くらいの違いなんですよ。お互い言っていることは分かるけど話せない、という感じです。


3年生の夏からポルトガルへ留学したのですが、すごく良い国です。留学先は片田舎で、大学しかないような街でした。食事がすごくおいしくて治安もよく、日本の方がリタイアして住むにもおすすめですね。



――大学卒業後はソニーに入社されました。


4年生の夏に帰国してから就職活動をしました。今だったら3年生の夏から就職活動ですが、その時代はバブル期の最後ということもあり、始めて1か月ほどでソニーが内定をくださいました。ラッキーでした。まだバブルが残っていた時期で、最後の大量採用の年ですね。その次の年から急に就職氷河期になりました。


当時は起業するつもりなど全然なく、今から10年前までは自分で何かを事業を起こそうなどとは考えていませんでした。



――そして南米のチリへ駐在。


中南米課に配属になって何度か出張はしていましたが、女性の駐在員というと欧米か、せいぜいシンガポールあたりだと思っていたので、まさかチリに駐在というオファーがくるとは思いませんでした(笑)。でも、もともと駐在希望していましたからまったく迷いませんでした。チリはスペイン語でしたし。


南米は国によって治安のレベルが異なり、チリは比較的安全な国です。絶対に行ってはいけないエリアもあるのですが、そこに足を踏み入れない限り安全でした。


足かけ6年、チリに滞在し、20代のほとんどを南米に捧げました(笑)。われながら珍しい存在だと思いますが、すごく楽しかったです。



――大変なことはありませんでしたか?


文化も言葉も違いましたし、20代前半でしたから、チリ駐在時代は苦労しましたね。日本人所長の下の何人かいるマーケティングマネージャーの一人でした。最初は日本から来た若い姉ちゃんが何かエラそうにしているという感じで大変でしたが、語学が得意だったのでスタッフとも仲良くなり、後半はやりやすかったです。


途上国に20代の独身女性を派遣するなんて、会社としてもリスクがあったと思います。ソニーという会社のふところの広さを感じますね。貴重な機会を頂いたと思っています。



1998年頃、チリ駐在時代 (画像: 西浦氏提供)(※)

1998年頃、チリ駐在時代 (画像: 西浦氏提供)(※)



――帰国はご希望されたのですか。


本来は3年か4年で戻る予定だったんです。


厳密にいうと、いったんソニーを退職して、最後の1年ほどは現地採用に切り替えてもらっていました。通常は他の国に行くか日本に戻るかの2択になるのですが、私はチリという国が大好きでしたから、もっと居たいと思って現地採用にしてもらい、チリに住み続けました。


今でも、将来また暮らしたいなと思っていますよ。日本から遠いのが難点です。



――帰国後にも何度か転職もされています。起業まではどのような職種を経験されたのでしょうか。


新卒入社のソニーから始まり、海外に駐在し、転職・出産を経て、2008年の創業までとサラリーマン時代が長いですね。


ソニーグループには10年間以上おりました。合間に転職してソニー本体を退社し、情報サイト「オールアバウト」で1年勤務した後、またソニーに戻ってプレイステーションなどのゲームの商品企画をしていました。その後は外務省の外郭団体である財団法人に入りました。「オールアバウト」以外は全部海外に縁がある仕事です。


ソニーは大企業ですが、退職するときに何も躊躇しませんでした。その瞬間にやりたいことにジャンプするタイプです(笑)。




■商店街の軒先を借りたい人はたくさんいるはず!


出産直後に起業。写真は2008年3月頃 (画像: 西浦氏提供)(※)

出産直後に起業。写真は2008年3月頃 (画像: 西浦氏提供)(※)



――起業のきっかけについてお伺いします。


出産を機に財団法人を退職し、仕切り直しというか、一度リセットして、大きな組織で働くことはやめて、子育てしながらできることを探していました。出産準備中から起業の案を思いついては、ああだこうだと考えていたんです。妊娠中の皆さんにはお勧めしません(笑)。



――最初はネットショップを考えていたそうですね。


ポルトガル語とスペイン語が得意なので翻訳の仕事ができたらいいかなと思って、その流れで、駐在していた南米の雑貨を輸入してネットショップを開こうと思ったのです。鉱山が有名なチリでは鉱物がたくさん採れますから、錫製の食器の輸入をしようと思いました。お食事に実際に使う実用的なものではなく、どちらかというとインテリア用です。そのような品々の輸入を考えました。


ただ、事業というほどのものではなく、家で育児しながらできる趣味と実益を兼ねたお小遣い稼ぎの気持ちでした。


ですが、本格的に輸入する前にサンプル取り寄せてお客様の反応をみたいと考えて、場所を探したことが、軒先株式会社を立ち上げるきっかけになりました。



――「軒先ビジネス」の第一歩ですね。


最初の1年は株式会社化せず、個人事業でした。近所の商店街のお店を回って、場所を貸してほしいとお願いすることから始めました。小売の経験もないので本当に素人で、どこか場所を借りて短期で販売できないかと思ったのです。


そこで、不動産屋さんを回ったのですが、短期でお店が開けるスペースってなかなかありませんでした。長期前提の契約になってしまい、保証金も高額。1日とか1週間で借りることができない。私と同じように、借りたくても借りられない人がいるのではないか、お店の軒先のスペースを貸したいオーナーさんと、借りたい人をつなぐサービスがあればいいのに、とそのサービスをビジネスとしようと思ったんです。


大きな事業をやろうとか、大きなマップを描いていた上でのスタートではなく、「こんなサービスがあったらいいな」とか、自分の個人的な思いを具現化するところから始まっていたので、まさか10年後に今のような事業規模になっているとは思いもしませんでした。


1日単位の賃貸可能なスペースの検索・予約サイト「軒先ビジネス」、社会問題を解決するシェア型パーキングサービス「軒先パーキング」サイトを運営しています。



――ビジネスのアイデアは意外なところから生まれますね。


仲良くしていたチリ人の女友達から教えてもらったスペイン語の言葉に、「Vivir la vida ordinaria extraordinariamente.(日常を非日常的に生きる)」というものがあります。これは私の大好きな言葉で、いつもの代わり映えのしない毎日でも、視点やアイデア次第で非日常に変えることができると思うんです。


今のビジネスも、「どこかでお店が 開けないだろうか」いう視点でいつもの街角を見ることで、新たな気づきがあり、そこからスタートしました。当たり前を当たり前と思わず、新たな発見ないかをいつも探しています。




■シェアリングビジネスは、関わる全員が喜んでくれる


西浦 明子氏

西浦 明子氏



――軒先ビジネスの軸になるものは何でしょうか。


「軒先」のような空きスペースは、ひとつの目的だけで使われるものではなく、もっといろいろなサービスを載せていってもいいと考えています。


ありとあらゆる空きスペースにはいろいろな可能性があると思っているので、今はご商売用のスペース「軒先ビジネス」と、シェア型駐車場「軒先パーキング」が中心ですが、他にもこれから広げていきたいと思っています。



――拡大は順調でしたか。


いえ、そうでもないです(笑)。山あり谷ありというか、谷あり谷あり、深い谷ありという感じでした。


やめたくないけどやめざるを得ないかも、という状況を何度も経験しました。でも、そのたびに手を差し伸べてくれる方が現れ、すんでのところでうまくつながって助かりました。やめなくてよかったと思っています。続けているといろいろなチャンスにめぐりあえます。あきらめずにいかに継続させるか、知恵を絞っていけるかということが大事です。



――どんなピンチがありましたか。


やはり「人」と「お金」ですね、一番の営業マンを引き抜かれたことがあり、それも12月31日の大晦日の夜に「1月末で辞めます」というメールが来たんです。翌日からは大変な年の始まりになりました。もちろん辞めるのは自由ですが、当時交渉相手中の大手企業に引き抜かれたので、ショックは大きかったですね。



――それでもやめなかった理由は?


シェアリングビジネス事業は、関わる皆さん全員が喜んでくださるんです。貸してくださる方は、今までお金を生むとは思っていなかったところが急にキャッシュを生むと喜んでくれますし、お店を開きたい方、借りる方は、家賃という大きな固定費をかけずに必要なところで出店することができて喜ぶ。だからやめようとは思いませんでしたね。


我々もそこで収益を得るわけですが、一方で、街のにぎわいが新たに創出できるという効果があります。駐車場ビジネスの場合は、新たな賑わいを創出するということにはつながりませんが、路上駐車や渋滞の防止に貢献するなど、地域の課題解決策として多くの自治体で導入いただいています。



――街の賑わいにも貢献できるビジネスですね。


今、どこの街に行っても、資金力のあるナショナルチェーン店が一等地を押さえてしまっているので、名もない地元の良店や個人事業主が商店街で店舗を経営することは難しい状況です。後継者がいなかったりすることもありますが。


同じようなお店しかなかったり、ショッピングモールに行っても同じようなテナントしかなかったり、街の魅力がどんどん薄れ、均質化してしまっていると感じています。


空いているスペースを安価で使えるようにすれば、その街の魅力を引き出せるきっかけにもなり、街の小さなアクセントになると喜んでいただくこともあります。


ひとつのプラットフォームで巨大化するのではなく、街の可能性や魅力を引き出すサービスを拡充し、いろいろな方が活躍する場を作り続けていきたいと思います。



――今ではいくつも賞を受賞し、上場も視野に入る企業になりました。ビジネスの折衝相手も商店街から大企業が中心ですね。やりにくくなった点などは。


逆にすごくやりやすくなりました(笑)。昔は半年かけて、お取り引きしてくださいとこちらから一部上場の企業さんを説得していましたが、今は大手企業の方がベンチャーに歩み寄ってくれるトレンドになっています。自分たちの顧客基盤を使って新規事業を始めたい大企業が増えており、場所を一から作るのは大変なのでベンチャーと組もうと考えてくれるようになっています。




■軒先の土地を活用するオーナーを増やして、街を変えていきたい


西浦 明子氏

西浦 明子氏



――小さいお子さんを育てながら仕事を続けるのは大変ではありませんでしたか。


起業して良かった点は、子育てしやすいということです。大きな企業でワーキングマザー向けのルールがあったとしても、気をつかいながらお休みを取らなければならないことを考えると、今のように、子育てしながら仕事の融通をきかせるほうが方がいいです。独立して良かったです。



――女性にとっては働きながら子育てをするのはまだまだ難しいですよね。


2月に子どもが中学受験をしましたが、この1年間、学校説明会やら塾の模試の付き合いやら、いろいろなことで平日の昼間を使わなくてはいけませんでした。企業に勤めていたら、そのたびに早退したり休んでいたら、気をつかって、やりきれないと思います。


今の仕事はパソコン1台あればどこでもできますし、自分の采配でいかようにでも仕事ができますから。



――育児中の社員への配慮などもされていますか。


今は男性比率が圧倒的に多く、子育て世代のパパがたくさんいますので、奥さんの出産時には産前産後含めてリモートワークを認めたり、子どもの行事があるときは融通しあってお休みできたりする環境を作っています。今後は子育てだけでなく介護もリアルな問題になってきますので、基本的にリモートワーク前提で業務進行できる体制を維持していく予定です。



――会社のトップとして求められていることは何でしょうか。


当社は丸11年経ちました。今は誰でも起業できる世の中だといっても、事業を継続することはとても大変です。スタートアップはhard thingsが多いと言いますが、本当にハードなことの連続です。


赤字続きの中で、資金の調達元に「いつか黒字にして上場します」と約束するベンチャー企業には、状況に打ち勝つタフさ、精神力、鈍感さが必要です。そういうものを持っていなくても、楽しみながら波を乗り越えられる、あきらめない気持ちで継続するうちに自然に培われると思います。



――軒先株式会社のゴールは何ですか。


じつは、会社を大きくすることだけがゴールだとは全然思っていません。結果として大きくなるかもしれませんが、目的ではありません。今までにない不動産の運用の仕方、生かし方にオーナーさんが気づいてくださるような世の中を目指しているところです。


その土地をどう使うかということを最終的に決定するのはオーナーさんですから、その方々が自分の持っている土地を活用することを考えてくださらないと街は変わっていかないと思います。そういう方々がひとりでも増えて、さまざまな方々がチャレンジできる街をつくることが目標です。



西浦明子氏(軒先株式会社 代表)

西浦明子氏(軒先株式会社 代表)







シェアリングエコノミーの波が日本に押し寄せる10年以上も前にスペースシェアリングビジネスをスタートした西浦さんですが、今は、トップ営業から各種イベント・セミナーでの登壇まで、スキマ活用のエバンジェリスト活動を精力的に行っているとのこと。ますます広がるスペースシェアリングに目が離せません。







プロフィール


西浦 明子(にしうら あきこ)

軒先株式会社 代表取締役

神奈川県出身。上智大学外国語学部卒業後、ソニー(株)入社。南米・チリに6年間駐在。 帰国後、All About Japan、(株)ソニー・コンピューター・エンターテインメント(現(株)ソニー・インタラクティブエンタテインメント)を経て外務省外郭団体へ。出産を機に退職。2008年4月、スペースシェアサービス「軒先」創業。


軒先株式会社[外部リンク]





編集・文・撮影:アスクル「みんなの仕事場」運営事務局 (※印の画像を除く)
取材日:2020年3月16日

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