福山俊大氏(REALBBQ株式会社 取締役)
(編集注) 本記事は、2020年3月23日に取材しました
「日本にホンモノのバーベキュー文化を!」を合言葉に、都心のビルの屋上を貸し切り、機材や食材を用意したプライベートバーベキューを提供するほか、海外のチャイニーズレストランを彷彿とさせるお洒落な店舗デザインの「トーキョーギョーザクラブ」も運営する企業として注目を浴びているのがREALBBQ株式会社。フォトジェニックな空間作りや本格的な食材が特徴で、都心で手軽にできる非日常体験として20~30代に絶大な支持を得ています。ユニークなコンセプトはどのように生まれたのか、取締役の福山俊大氏にお話を伺いました。
――福山さんのご経歴を伺います。
いわゆる高校からエスカレーターで慶應大学へ入りました。優秀な大学生ではなく(笑)、正直言って大学もやめたいと思っていて1年目は単位がゼロでした。
大学へ行く理由は何だろうと考えて答えがなかなか出ず、やめたらどんなデメリットあるのかと考えたら、シンプルに、卒業しないと就職できないという結論が出て、じゃあちゃんと行こうかなと。
冷静に考えると、留年したので、高校で一緒だった友人が1年上になっていて、そこで急激に焦りました。もう普通に就職しても、企業に入っても1年の差は縮まらない。どうやったら挽回できるか、追い抜けるかと考えました。
3年生のときにいろいろなインターンを経験したのですが、その中に経産省のプロジェクトがありました。当時勢いあったベンチャー企業の社長のかばん持ちのプロジェクト参加メンバーに選ばれたのです。
配属されたのはドリコムさんというブログサービスを展開している会社でした。社長は京都大学を中退して、これから上場へ向けて経営陣のみ関西から東京に移ってきたというタイミングでした。
――企業経営には興味をもっていたのですか。
実家が家業をやっている関係も有り、経営には興味がありました。経営とかマーケティングについても勉強していましたし。
それで衝撃を受けたのは、その社長は当時27歳くらいで、役員の方も20代前半だったということです。とにかく付いて回りましたが、名だたる大企業に商談に回った後で「彼の感覚違うよね」とおっしゃっていて。
それまでは、仕事というのは与えられるもので、与えられた自分の役割に応えて、評価されていくものだと思っていました。そうではなく、大企業の方の価値観をそのまま受け入れるのではなく、自分たちで価値を決める、仕事の価値は自分たちで作っていくのだということを間近で見られたのは良い経験でした。かばん持ちは1週間くらいで、特段その期間で何ができたわけではなかったのですが。
――学生時代にはボランティアを経験されたそうですね。
新潟県中越地震のときです。自分で行動することがすごく大事だと学んでいたので、友人とすぐに新潟県川口町(現在は長岡市に編入)に行きました。
子どもたちのために何かしたいと思い、3つの小学校の子どもたちにクリスマスプレゼントを届けるボランティアプロジェクトを立ち上げ、バンダイさんなどに交渉しておもちゃを提供して頂きました。
――まだ起業は考えていなかった?
当時はIT長者がたくさん出てきた時代でした。自分も30歳までには起業して、六本木にオフィス構えたいと考えていました(笑)。
資金調達環境も今とは全然違いました。当時は調達さえできれば、というわけではなく、皆さん地道に手金を稼ぎながらいろいろトライされていたと思います。10年前と比べて今は、投資を受けやすい分野もありますが、資金調達の選択肢は確実に増えているのは確かですね。起業家からすればいい環境だとも思いますし、一方で、有象無象が出てきていると思いますね。
――それで就職された。
軸としてはリクルート出身の社長がやっているベンチャーに、と考えていました。かばん持ちのときであったIT系企業の方々に、「転職するならどこ行きたいですか」と聞いてみたら、8割くらいの方がリクルートと答えたので。リクルートは大企業ですが、ベンチャーとして同じ匂いがしました。
それで、ご縁があってリクルート出身の方がやっている通信系の会社に入りました。IP電話の会社です。文系(経済学部)でしたが、IT系には抵抗はありませんでした。なるべく社長さんに近いところで働きたいと思っていました。
ところが、入社直前にライブドアショックがあり、六本木ヒルズのIT起業は虚業だというムードになりました。インターンを通じてIT系企業にあこがれて、「ああいうふうになりたい」と思っていたのに、「違うのかもしれない」と思いはじめましたね。
入社した会社も上場を目指していたのですが、ライブドアショックの影響でIT銘柄は軒並み値がつかなくなってしまい、そもそも上場すべきなのかというところまで後退しました。日本経済全体が良い流れではなく、いろいろな会社がバタバタとつぶれていきました。
自分も会社を作りたいと思っていても、続けていくことは難しいと思い、そこで初めて40年以上続いている実家の建設業に目が向きました(笑)。2年ほど勤めて、退社して父の会社に入社し、経営企画の仕事から始め、最終的には役員になりました。
――建設業は大変でしたか。
小さい会社ですが、小さくてもちゃんと続けていくことが大事だと思いますし、いっときの勢いで大きく稼ぐより、地道に中小企業なりの経営の仕方を学ぶことができたと思います。
銀行とのやり取りや採用等も含めて経営のすべてを経験できたのは良かったです。
建設業界の済状況は良くありませんでしたし、転職市場の中で魅力がある会社ではありませんでしたが、イニシアチブを取りやすい会社の方が自分の成長につながるのではと思いました。
とはいえ、実際には大変でしたね(笑)。現場監督や職人も抱えている会社でしたし、小指の先がない方もいっぱいいて、カルチャーショックでした。
正論が通じない環境で、言っている意味は分かるけど、俺らは勉強ができないからこういう仕事やっているんだ、今日の日銭が稼げれば会社なんてどうでもいいと言われたこともありました。
そういう方たちには技術があるのですが、当時の建設就業者の平均年齢は55歳くらいでした。まさに高齢化の真っただ中です。会社としては、技術や実績がいくらあっても若返りと言うか、後進の育成をしないと絶対的に生き残れません。
2008年のリーマンショックの後に採用が絞られていて、比較的新卒採用しやすかったので、4大卒の文系の学生を採用し、「今、第2創業期です。これから会社として戦っていくので一緒にやらないか」と口説いて、現場監督にしていきました。もちろん本人たちの努力もありましたが。
――何年ほどご実家の家業をされたのですか。
5年ほどです。建設業も縮小していましたが、その5年で小さいながらも売上も2倍になって成長しました。業界を変えられるほどのインパクトはありませんが、中小建設会社として日々手堅く仕事をやっていました。
――そこから起業することになったのですね。
そんな中で、もう少しクリエイティブな仕事をしたい、いろいろチャレンジをしたいという気持ちはずっとあり、そのあとずっと一緒に仕事をすることになる井川裕介(現・代表取締役)と再会したことが起業のきっかけになりました。
――どういうお知り合いだったのですか。
もともと大学時代に面識はあったんです。彼は食品系の専門商社で働きながら、食材もテーブルも設備ももってきて公園や河原で「出張バーベキューシェフ」として週末企業をやっていました。
共通の友人に「井川が面白いことをしているから、ちょっと来てみないか」と誘われて公園に呼ばれました。
バーベキューの代行が1人5000円と言われたときは正直高いと思い、流行らないだろうと思いながら東京・三鷹の野川公園に行ったのですが、料理は単純においしかった。
ただ屋外で肉を焼くだけで、料理の質よりも場を楽しむ学生のノリを想像していたので、それで5000円は高いと思っていたわけですが、いわゆる肉バルというか、世界観が全然違うことに衝撃を受けました。
ちょうど自分もホームパーティーにハマっていたので、シンプルに面白いおもちゃを見つけたと思って、自分のホームパーティーにも来てもらいました。
すると周りの反応が良くて、自分も使いたいという意見もあり、僕自身も、井川がやろうとしていること、バーベキューの文化を広めたいと事業としてやっていることに共感しました。
――どのようなきっかけで一緒に起業することになったのでしょうか。
当時は2013年で、井川は法人化も見すえて、副業でいろいろトライしていた時期でしたが、雑誌「東京ウォーカー」に掲載されて名前が出て、それが本業の会社にバレてしまった。そんなに大きく載るとは思っていなかったのでしょうね。どうしよう、と相談がきて、「俺も金を出すから一緒に会社を作ってやろう」ということになり、2014年2月9日の「肉の日」に創業しました。
――前から出資しようと考えていたのですか?
僕自身は、20歳くらいから起業を考えていましたが、踏み出すアクションと言うか、具体的なビジネスアイデアはもっていませんでした。だから井川がやろうとしていることは羨ましく感じていたし、頑張ってほしいと思いました。
ですから、「お金出すから一緒にやってみないか」という言葉が自然に出たんです。
――実際に設立されて、代表が井川氏。他はどのようなメンバーでしたか。
最初は正社員もいなくて、出張バーベキューシェフとしてやっていました。
当初考えていたのはラーメン屋さん的な、REALBBQという名前で弟子にのれん分けしていくビジネスモデルです。社員ではなく業務委託でやりたい人を何人か引っ張ってきました。
ところが1年間やると課題が出てきました。どうしても「人」につく商売なんです。つまり「井川さんに来てほしい」ということで、他の違う人間が行っても「違う」という反応なんですね。代表の井川が稼働してナンボ、という面がありました。
焼くだけといっても、大きな塊肉ですから、技術的に習得するのはなかなか難しいんです。毎日店を開けているわけではなく、土日に集中してしまいます。実践を積ませて育成するには期間がかかります。1年では正味、難しい。自信を持って行かせられる人材は数人しか育たなかった。そこでこのモデルの難しさを感じました。
――ほかに苦労されたことは?
もうひとつは、公園や河原でのバーベキューがどんどん禁止になっていったことです。
まず多摩川が稲毛市側が禁止になり、ゴミの問題などで全国的にバーベキューをできる場所がどんどん減っていきました。
機材レンタルの企業は増えていましたから、バーベキューをやりたい人そのものは増えており、だからこそゴミ問題も起こったのでしょう。それが2014年頃です。
一方で、一般の方以外に、芸能人や富裕層に呼ばれていました。公園ではなく、ご自宅の庭や高級マンションの屋上などのプライベートな空間ですね。ゆったり貸切でバーベキューできるのはいいね、自分たちもやりたい、というあこがれがありました。
そこで、都心の中小ビルの屋上を貸し切ってバーベキューをするというモデルを考えました。
――今ではバーベキューだけでなく、ギョーザにも広げていますね。
バーベキューはもちろん伸ばしていきますが、2019年12月から「トーキョーギョーザクラブ」を始めました。これを発案したのは井川です。狙い通りにSNSでバズって、おかげさまで売上も順調です。
――井川代表のアイデアを形にするという感じですか。
僕自身はギョーザがどうとかということよりも、どう戦うかという戦略をしっかり取ります。基本的には代表がやりたいと思ったことを自分が理解し、どう伴走するか、彼が得意なところ、理想のところになるべくフォーカスできるように周囲をケアしていくことがパートナーの役割だと思っています。
普通の餃子屋だったら「難しいんじゃない?」と言いますが、その辺は世界観がありますから(笑)、普通ではないお洒落な「クラブ」となりました。
――マーケティングについてはだいぶ勉強されていますか。
マーケティングの本はよく読みますが体験談はあまり興味がなくて、解説書的なものが好きです。トーキョーギョーザクラブを展開する上で参考にしたのは飯高さんの「僕らはSNSでモノを買う」(通称「ウルサス本))です。SNSマーケティングで活用できると思いましたね。
――プロフェッショナルのブランディングですね。井川さんも心強いでしょうね。
お互い役割分担というか。彼はコンテンツを作ったりするクリエイティブの面が強いので、彼の世界観を言語化して伝えて行くのが僕の役割だと思っています。彼がアーティストで、僕はマネージャー兼プロデューサーといったところでしょうか。
彼が力を発揮できるところにフォーカスできる環境を作っていくことが、たぶん会社の成長に一番つながると思っています。
――今後はどのような展開をお考えでしょうか。
飲食系は不動産の賃料自体が固すぎますから、契約した段階で負けが確定してしまうことが多いと思います。今は新型コロナの影響がありますので、見通しを述べることは非常に難しいですが、いずれにしても僕らがやっていることは「ワクワクする食体験」を作っていくノウハウ、ブランディングが根幹にあり、肉を焼くという機能を提供するのではなく、非日常感を提供することがREALBBQの武器だと思っています。
貸切であることや、単純においしいということだけではなく、そこに行くことによってワクワクしたり、いい気持ちになって友達にもちょっと自慢したくなったりするということですね。
トーキョーギョーザクラブもそうですが、席数の2.5倍くらい女の子たちが毎日並んでくれます。店内が女の子で満席になるギョーザ屋なんて、普通ありませんよね。
――ギョーザ以外にはどんなところに進出されますか。
こういうのやりたいね、というのはまだあります。
2018年頃から大型のビアガーデンにも参入して、ビアガーデンのリブランディングもしています。ただ、天候に左右されることが多く、昨年は台風の影響もありましたから、年間通じてできるその他の飲食業態にも興味はあります。
ゴーストレストラン、デリバリー専門などはこれから伸びていく分野だと思います。ビジネスエリアにデリバリーするとか。
――スタートからすると、飲食業での起業は意外な展開になりましたね。
REALBBQのサービスは、もともと自分が一利用者として気にいっていたものでした。やはり自分の感性が働くところでなければ、なかなか実感できません。
もちろん、いろいろ積み上げていく中では、必ずしも自分がターゲットになるビジネスでなくてもいいのですが。
客単価でいうと、バーベキューは6000円くらいの価格帯です。ビアガーデンは4000円、ギョーザクラブは2000円台。やっている業態は価格帯としてはレイヤーが分かれており、お客様のバリエーションも増えています。
飲食業は景気の波に左右されますので、今は低価格帯を強化していけばいいかと思いますが、やはり他とちょっと違う、ワクワクしてしまうような食体験を作っていくことがすごく大事だと思っています。
福山氏。「トーキョーギョーザクラブ」店舗前にて。
マーケティングをしっかりと練り、若い女性に「餃子屋」ではなく「ギョーザクラブ」を成功させたREALBBQ。次なる展開が楽しみだ。
プロフィール
慶應義塾大学在学中に、厚生労働省の起業家育成インターンプログラムでIT系企業社長のかばん持ちを体験。また、新潟県中越地震後、被災地の子どもたちにクリスマスプレゼントを贈るプロジェクトを立ち上げ、バンダイ等おもちゃメーカーから協賛を得て実現。
大学卒業後、通信系ベンチャー企業へ入社。その後、父親が経営する福山建設株式会社入社。役員となり社内組織改革を実現。
2014年、REALBBQ株式会社の設立時から取締役を務める。
編集・文・撮影:アスクル「みんなの仕事場」運営事務局
取材日:2019年3月23日
2016年11月17日のリニューアル前の旧コンテンツは
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