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コロナ禍で変容するレジデンス需要を武器に事業拡大に挑む不動産ファイナンスの雄 ~株式会社グローバル・リンク・マネジメント 金大仲氏インタビュー

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株式会社グローバル・リンク・マネジメント 代表取締役社長 金大仲氏

株式会社グローバル・リンク・マネジメント 代表取締役社長 金大仲氏


不動産ソリューション企業グローバル・リンク・マネジメントは、東京都心部を中心に高級分譲マンション「アルテシモ」シリーズを展開し、東京エリアNo.1シェアを目指している。2005年の設立後、わずか12年で2017年12月東証マザーズ上場、その1年後(2018年12月)には東証一部上場へ。土地仕入・開発・賃貸管理までワンストップの不動産ソリューション企業を率いる金大仲氏にお話を伺った。



■横浜中華街で、商売人に揉まれながら家業の手伝い



――小さな頃はどのようなお子さんでしたか。


 実家は横浜の中華街で、3人兄弟の真ん中でした。小さい頃は兄の友人たちと活発に遊んでいましたね。ませていたのか、負けず嫌いで目上の人たちに揉まれていましたけど、かわいがられていましたね。


周囲には商売をしている華僑の方が多く、また近隣にはインターナショナルスクールもありましたから、外国籍の友人もたくさんいました。親戚も飲食や遊戯関係などの商売をしている人が多く、自分も経営者になりたいというイメージは漠然ともっていました。



――ご両親からはどのような期待をされていたのでしょう。


 父親は「医者か弁護士か経営者になれ」と我々兄弟に言っていましたが、勉強しろと言われたことはありません。


父はどちらかというと教育者に近かったのですが、僕が中学生の頃、バブルのピーク時に自宅で飲食店を始めたのです。


もともとは小規模ながら不動産賃貸も営んでおり、自宅の1・2階を賃貸し、3階に住んでいて、中華街は観光地ですから借りてくれる方には困らず、家賃収入はあったんです。ところが、その1・2階を店舗にしてしまったので、家賃収入がなくなり、飲食店の仕事に追われることになったわけです。


素人でしたし、1年後にはバブルが弾けて大失敗でした。僕の中学・高校時代はその失敗が重くのしかかっていましたね。廃業まではいかず、なんとか15年ほど営業は続けていましたが、非常に苦労しました。


中学時代から大学生まで働いて、大学卒業後はいったん就職しました。



――大学生活は家業に明け暮れた感じですか。


 そんなことはありません。大変な日々でしたが、いろいろな活動を自由にしていました。私は在日コリアン三世なので、在日コリアンの全国のネットワークの会合に参加して、国際交流やビジネスの交流などで全国を飛び回っていました。



■家業を立て直し、起業を見据えて就職、修行


株式会社グローバル・リンク・マネジメント 代表取締役社長 金大仲氏



――家業の立て直しで、「おカネの回し方」などを勉強されたわけですね。


 父は方向性だけを決めるタイプでしたから、銀行とのやりとりなどは母をサポートしながら自分がやっていました。商売の仕組みというか、基本的なキャッシュフローや仕入れと販売、毎週の売り上げや販管費を母と一緒にチェックしていました。借り入れもありましたし、追加の融資や資金繰りで苦労しました。銀行が貸してくれなかったらノンバンクなどの高利貸から借りるしかありません。失敗したら大変なことになるということも知りました。商売の感覚というか、若いうちに大変さを経験することでいろいろ学びました。


当時は「自分の時間を返せ!」と思っていましたが(笑)、朝から店舗で好きなものを食べたり、自由にやらせてもらっていました。家族だからこそ団結力があったのだと思います。


何とか立て直し、結局、28歳くらいまで家業を手伝いました。失敗した環境にいたことによって、すごく勉強になりました。



――卒業後はどんな業界に就職されましたか。


 いつかは自分で起業するつもりでしたから、大学卒業後、まずファイナンスを学ぶためにノンバンクに入り、そこで1年ほど働いてから、不動産の会社に入って一から勉強しなおしました。


もともと投資用の収益不動産を持つことに興味を持っていました。最初に金融機関に入ったのも、不動産担保や貸付、競売とか不動産を学びたかったからです。そこで金融機関の視点を知りました。売上をあげ、利益をあげないと貸付の回収はできません。事業計画などは、回収できるかできないか、そこしか見ません。ビジネスモデルも様々なものを見ました。


それで、ある程度家業を立て直した28歳のとき、自宅用マンションを購入したのですが、そのマンションデベロッパー企業は設立5年目で売り上げ100億円、上場も視野に入れており、社長がまだ33歳ということを知りました。5年後に自分はそんな姿になっているだろうか。そう思いました。今のままでも食べてはいけるだろうけど、5年後に100億のモノを作って上場を考えるような線上にいるだろうか。


そこで、本格的な不動産をやりたいと思い、収益不動産を取り扱うデベロッパーで1年間修業したのです。そこで得た不動産と金融の知識をもとに、実家の不動産をベースに増やしていきながら、安く買って売却するというところまでもっていきました。



■東京のマーケットでNo.1になりたい


株式会社グローバル・リンク・マネジメント 代表取締役社長 金大仲氏



――どのように事業を拡大していったのでしょう。


 まず、横浜中華街や都心の収益性の高い物件、中古物件などを安く買いました。相続税の支払いや、競売などの理由で早く売りたい方を探すわけです。安く買えれば利回りが高くなりますから、保有し続けてもいいし、売却しても売却益が出ます。キャピタルゲイン、インカムゲインの双方を得られる物件を増やしていくことから始めました。


ひとつひとつ物件を媒介する経験を重ねるうち、この場所にこういう建物を建てたら、こういう人が住んで収益があがり、こういう価値が生まれる、ということがだんだん見えてくるようになりました。



――起業から今まで、時代の変化も感じられているでしょうか。


 予想以上に東京一極集中が進んでいると感じます。地方との差がどんどん鮮明になり、人も物もお金もすべてが東京に集まっていると強く感じます。


我々は東京でレジデンス(住居)物件を中心に扱っていますが、昨年、次の事業展開は地方都市か、海外か、と考えたんです。東南アジアを回ってみましたが、海外での不動産開発にはパートナー企業が必要で、それを探すのが難しいため時期尚早かなと思いました。


一方、国内では東京一極集中が加速しており地方では人口が増えていない。だから東京を主軸に、将来的にはマンション以外に商業テナントビルやオフィスなどの商品ラインナップを増やしていこうと思っています。



――その後、順調に業績を拡大して、大変大きな会社に育ちました。


 まずは東京のマーケットで圧倒的な存在感のある規模、業界ナンバー1のシェアまで育てたいですね。今回のコロナ禍に見舞われ、投資家が減り、場所も関係なく、想像もしていなかったような状況になりましたが、レジデンスの需要だけはコロナ禍でもまったく変わっていません。


我々は東京に現在2千数百室ほどを管理しているのですが、緊急事態宣言後も家賃の猶予を求める声はまったくありませんでした。東京のレジデンスは本当に強いと実感しています。



■グローバル・リンク流人材管理術


ここで社内での金社長について、社員の方にも入っていただき、お話を聞いた。参加してくださったのは経営企画部部長の竹内文弥氏、同課長代理広報の近藤愛実氏です。



竹内文弥氏(経営企画部部長)

竹内文弥氏(経営企画部部長)



――ここからは人材管理について伺っていきます。採用は新卒中心とのことですが。


 会社を立ち上げて、すぐその年から採用を始めました。2年目には1期生が入社しました。


最初に入社した金融機関は厳しかったのですが、新卒のパワーがあり、一途で強いんですね。長続きするので強い組織ができるんです。


次に入った不動産事業の会社では、入社した人が毎週のようにどんどん辞めていく。不動産業界あるある、という感じですが、中途入社は組織にとってはすぐ辞めてしまう層だということがわかりました。だから、僕の会社では営業職の採用は基本的に新卒のみです。



――新卒といっても優秀な方はすぐ採用できるでしょうか。決め手はあるでしょうか。


 創業当初は大学を出ていれば採用していた、というと冗談になりますが(笑)、基本的に営業の会社ですから、学歴や学部は関係なく、面接で会った時のフィーリングで、コミュニケーションがきちんと取れて、その人と一緒に仕事をするイメージをもてる学生を採用しました。たとえ学歴が立派でもコミュニケーションに不安があれば今でも採用しません。



――竹内さんは実際に入社して、いかがでしたか。


竹内 私は不動産業界に絞って就職活動をしていました。実家は配管工でしたから、家づくりの現場を身近に見ていて、大きなものができていく様子はいいなと感じていたんです。大学では政治経済学部で都市政策を専攻していました。街ができていく、家ができていくことに面白さを感じて、不動産業界に決めました。ただ、入社が決まったのは大学4年生の終わりごろ、1月末で卒業まで2か月の時期でした。

 うちは当時ぎりぎりまで採用活動をやっていましたから(笑)。


竹内 エントリーしてから決まるまでは早くて、2週間ほどでした。


就職活動は、普通に大学3年の終わりから始めて、不動産系の大企業から内定もいただいていたのですが、内定者と先輩社員の懇親会に参加したら、現場の30代、40代の社員方が活き活きと働いている印象が持てませんでした。これならここで働かなくても家業を継いだ方が自身の人生に活きるのではないかな、と思って、内定を断って就職活動をやめたんです。


しかし、4年生の年末に帰省したときに大学生活を思い返し、社会人になってもっと多くの人との出会いを経験してから戻った方が家業に生かせると考え直して、就職活動を再開しました。


そこでグローバル・リンク・マネジメントの説明会に参加したのですが、社員の方がとても魅力的で、きちんと人を見るような面接だったので、この会社で働きたいと思いました。 生意気ですが、「この会社、人は良いけどビジネスは大丈夫なのか確認したい」と、開発している自社物件の現場まで見に行ったりしました。


 今初めて聞きましたが、そういう学生はあまりいないですね。この人は優秀だったんでしょう(笑)。

竹内 入社してみると、想像以上にフラットな職場でした。正直、家業を継ぐつもりでしたから3年で辞めようと思っていたのですが、もう勤めつづけて12年になります。


社員に「俺は役員だ、役職者だ」と接するような人は、今でもいません。立場に応じて、「そういう目線なのか、じゃあこうしたらどうか」というアプローチで接してくださります。上場するまで自分が残ることになるとは予想していませんでしたが(笑)、会社が大きくなっても皆さんのそういうスタンスは変わりません。それが会社の文化なので、それに魅力を感じて集まる社員が多いと思います。



■遠慮せず何でも言ってほしい、一緒に作っていこう


竹内文弥氏(経営企画部部長)



――社員に日頃おっしゃっていることは?


 フラットかどうかは分かりませんが、「何でも遠慮せず主体的に言ってほしい」とは言っています。どんどん発言してほしいし、一緒に作っていこうと。商品やサービスと同じように、会社のカルチャーも一緒に作っていきたいんです。社員だけでなく、取引先からも本音をいろいろ聞きたい。会社にできることで良いことだと思ったら、最速で変えます。それがうちの強みというか、特色だと思います。



――人材育成で重要なことは何でしょう。


 2020年から企業理念を刷新し、「不動産を通じて豊かな社会を実現する」という経営理念を掲げています。お客様はもちろんのこと、もう一段階大きな意味で社会貢献していこうということです。ビジネスとして人として成功するというより、誇りをもって社会に選ばれる人や組織でありたい。胸を張っていきたいですね。事業拡大は大事ですが、それが喜ばれるのか。それがビジネスとして正しい方向か、ということを判断基準にしています。



――社員が範としていることありますか。


竹内 分からないことをそのままにせず、学んでいくように、ということでしょうか。他責にせず、失敗をしても責任感を持ってやりきることが大事だと身をもって示してくださっています。


 できないことというものはない、やれる道を考えればいいだけで、なぜできなかったのか、やり続ける方法を考えなさい、と言っています。できなかったからといって責任を追及して怒鳴ったりすることはないですね。教えられなかったのは僕の責任ですから。



――新卒を採用していて10数年、変わってきたことはありますか。


 時は流れても学生は変わらないと思います。よく言われるように、若い子だからコミュニケーションを取りたがらないということはありません。ただ、今では会社が大きくなったことで分業化が進んで、ベンチャー志向の学生には物足りなくなってしまっているかもしれませんね。


竹内 今の学生の方がむしろ素直なのかもしれません。情報があふれている時だからこそ、我々と話すことに魅力を感じてきてくれているのかもしれません。



――金社長のどんなところがご自慢ですか。


竹内 リーダーシップは本当にすごいなと日々思っています。自ら現場の社員に聞いたり、「こうしたら改善できるんじゃないか、俺がやってみるから皆もやってみよう」と現場を引っ張っていってくれます。先入観なく判断してくれるところが、僭越ながらとても素直で(笑)、いろいろ吸収してくださる方です。決断も早いです。


近藤 社長自身がすごくポジティブなところと、社員に対して常に感謝を言葉にしているところを尊敬しています。私たちを引っ張っていく船長のような存在で、社員もみんな慕っています。また、社員から改善提案をすると、すぐにやってみようと実行に移してくださいます。



経営企画部課長代理広報 近藤 愛実氏

経営企画部課長代理広報 近藤 愛実氏



■アフターコロナは世界が相手。もう元には戻らないだろう


株式会社グローバル・リンク・マネジメント 代表取締役社長 金大仲氏



――新型コロナ感染症の影響で、働き方は変化していますか。


 じつは、今年3月にオフィスを増床移転したばかりなんです。その直後に緊急事態宣言が発令されました。広いですからソーシャルディスタンスは十分に取れます(笑)。


個人投資家向けにセミナーを開催しており、新型コロナウイルス感染拡大前までは会社までお越しいただいていたのですが、オンラインセミナーにしたところ大変好評で、参加者数は増加しています。ウィズコロナ、アフターコロナでも、セミナーや面談はオンラインで集客できます。


今までは一都三県でのセミナー開催でしたが、今後は全国の顧客へ向けてオンラインセミナーができます。海外の方を対象とするオンラインセミナーも始めました。世界中の方々に我々のサービスを知っていただくことができます。


契約行為も同様で、不動産の売買契約で重要事項の説明をオンラインでできるようになりました。


オンラインで仕事できるようになり、在宅勤務が増えていくと、我々のつくる住宅も変わってくるでしょう。今まではオフィスで働いて自宅で休むという形でしたが、在宅時間が伸びると、小さく間取りを取ったり、働きやすい部屋づくりが求められるようになります。ワクチンができても元に戻ることはないと思うので、大きなチャンスになります。



――人材育成の面については。


 そこはまだ難しいですね。人材育成と評価、マネジメントは課題です。ただ、おそらくやっていくうちに何らかの手法やツールは出てくるのではないでしょうか。オンライン化の流れは止まらないと思います。その流れの中で、より的確に舵取りできる企業だけが生き残っていくでしょう。



――最後に、グローバル・リンク・マネジメントの今後の展開について伺います。


 東京のマーケットでNo.1シェアを得られたら、さらに建築やファイナンス、保険など不動産業には関連ビジネスがたくさんあるので、グループ会社を増やしていきたい。日本でビジネスが仕上がったら、次はグローバル展開です。デベロッパーとしてなのかサービスなのかはまだ分かりませんが、我々のビジネスが世界的に評価される会社にしたいです。



株式会社グローバル・リンク・マネジメント 代表取締役社長 金大仲氏





金社長によれば、コロナ禍で不動産業界の低迷が予想される中、レジデンス(住居)は活況とのこと。世間で明るいとは言えないニュースが続く中、今後も広く社会貢献も視野に積極的にビジネスを進め、世界の投資家を相手にビジネスを展開すると語気を強める金社長の積極的な姿勢に元気をいただけた。






プロフィール


金 大仲氏 (Daejoong Kim/きむ てじゅん)

1974年生まれ。神奈川県横浜市出身。

株式会社グローバル・リンク・マネジメントを2005年3月設立、代表取締役社長に就任。


株式会社グローバル・リンク・マネジメント[外部リンク]





編集・文・撮影:アスクル「みんなの仕事場」運営事務局
取材日:2020年6月18日

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