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スタートアップ支援など若い世代をエンカレッジする不動産の新しい価値とは ~髙木ビル 代表取締役社長 髙木秀邦氏インタビュー

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髙木秀邦氏

髙木秀邦氏


東京都内に11棟のビルを所有管理する株式会社髙木ビルは、新しい不動産の価値を追求する試みを続けている。自社ビルで始めたコミュニケーションに特化した新しいコンセプトのコワーキングスペース「BIRTH」では、備付キッチンで食材イベントなどを開催。老朽化した自社ビルの全7階フロアをアーティストに制作や展示が自由にできるスペースとして解放したビル再生プロジェクト「キャンバス-CANBIRTH-」も話題を呼んだ。創業者である祖父の代からのオフィスビル経営にとどまることなく、既成にとらわれない発想で新しい不動産業の在り方を模索する髙木秀邦社長にお話を伺った。



■「不動産会社の跡取り」が、ミュージシャンの世界へ


――髙木社長はどのような子どもだったのですか。


東京都府中市出身で、祖父が創業した「株式会社髙木ビル」の3代目です。僕は長男で跡取りとして生まれて、祖父・秀男から「秀」の字をもらいました。幼少の頃、父と祖父の姿を見て、なんとなく「家業をやっているんだな」という認識はありました。代々続く地主として土地を守ってきた祖父は、街の寄り合いや農協の役員など何かとソーシャルな活動をしており、僕も長男で跡取りの意識を強く持ちながら育ちました。


今思えば、同級生たちは気軽に将来の夢を語っていても、僕はいずれ自分は後を継ぐのだと思って夢は持てなかったですね。小学校の作文でも「将来なりたいもの」を書けなかった。ただ家業を継ぐというイメージもなく、お医者さんだったら分かりやすいのですが、地主やビル経営という仕事には具体的なイメージを持っていませんでしたね。



――大学は商学部ですね。


早稲田大学に入ったときに考えていたのはひとつだけ、「とにかく広い世界を見たい」ということでした。小中高とエスカレーター式の都内私立に行っていたのですが、そのまま付属高校から大学に入るのではなく、他の大学へ行きたかったんです。いろいろな人がいそうな、武骨な大学がいいと思って、早稲田大学を目指しました。


入ってみると本当に全国からいろんな人がいて、一気に自分の世界が広がりました。そこで音楽に夢中になって、学外の人ともつながり、どんどん自由な考え方を知り、もっともっと広い世界を知りたくなりました。


それまでは具体的な夢を持っていなかったのが、初めて本気で音楽をやってみたいと思って、24時間365日、音楽のことばかり考えていました。勉強はおろそかでした(笑)。



――そしてプロのミュージシャンに。


ちょうど卒業する頃に事務所と契約してバンドデビューしました。結果から言うと、売れませんでした(笑)。周りでは売れていくバンドもあるのに、という悔しさもありました。


家族は大反対(笑)。すでに高齢だった祖父は「いずれ不動産業を継いでくれれば」という感じでしたが、両親は「何で音楽ばかりやっているんだ」と。でも、「今やらなかったら絶対後悔する。自分は音楽で生きていく」と最後まで突っぱねました。


音楽業界は刺激の強い世界でしたし、それこそ生きるか死ぬかという想いで音楽に向かい合っていました。そんな世界で思いっ切りチャレンジできたのは代え難い経験です。



――音楽業界から遠ざかった理由は。


「敗北」です(笑)。もうゼロ。やりきったというか、もうダメだと諦めました。27、8歳くらいでした。バンド以外でもう何もやりたいことはなく、音楽業界に未練はありませんでした。


今にして思うことは、バンドというのは起業や会社と同じだということです。同じ夢を見て仲間と一緒に作っていくけど、嫌になったら別れる。与えられた仕事をやるのではなく、何がしたいのかを日々考え、音楽という共通言語でチャレンジする。今の起業家と同じようなことを、音楽の領域の中でやっていたような気がします。


今、スタートアップの人々を応援するプロジェクトをやっているのですが、同じ夢を持つ若者たちが集まって夢を追っている姿を見ると、自分がバンドをやっていた頃を思い出してすごく共感しますね。


3代目として会社を継いで、チャレンジとは無縁の安定した生き方をしていると思われがちですけど、バンドをやっていた頃の自分は、無我夢中でした。その経験は、今の起業家たちとかぶるし、その思いはよく分かります。



――それで家業に入ったのですか。


当時は正直、「最後は実家に相談して戻れるのでは」という気持ちもどこかにありました。祖父も存命でしたし、一から修行すればいいだろうと。ところが、当時社長だった父(現・髙木ビル会長)から、「お前が来たところで、できることは何もない。そんなに甘い世界じゃないよ」と突っぱねられました。というか、突っぱねてくれたんです。


「当たり前だな」と思いました。「音楽で食っていく」と高らかに宣言して出ていったのですから、戻って甘えるのはフェアじゃない。そう気づいて、ゼロから就職活動をしました。



■音楽に懸けた情熱を仕事へ

髙木秀邦氏



――それからどうしましたか。


父や会社の手を一切借りず、新聞の求人欄から就職先を探しました。人生初めての就職活動です。家業の「髙木ビル」と同じ業界で認めてもらいたかったので、不動産業界で探しました。


「早稲田を出てから今まで何やってたの?」といった感じで面接を落ちまくり、最後に奇特な会社に拾ってもらいました(笑)。ちょうど面接の日に人事担当者が不在で、たまたま残っていた鬼の営業本部長が面接してくださり、面接の連戦連敗で開き直っていた(笑)僕が熱く気持ちを語ったところ、「面白いな。やってみろ」と採用してくださいました。


当時はビジネスの常識を何も知りませんでした。自分ではカッコよく生きているつもりでしたけど、いざ違う世界に足を踏み入れたら、世間を初めて知ったというか、何の説得力もないことに気づかされました。フラットに世の中を見たときに、自分はまだまだ足りないということを痛烈に実感しました。


ただ、すぐに前向きになれるタイプでしたから、新しいことをするのが楽しかったですね。初めてネクタイを買ったり、日経新聞を読んだり。最初の数か月は何もわかりませんでした。


営業マンとして、チラシを持って自転車に乗って回るところから始めました。バンドをやっていたときは1日24時間、音楽に夢中でしたが、同じ情熱を不動産に向けることができたんです。良い意味でサラリーマンの概念を持っていなかったので「やる時はやる!」と思い、割と簡単にスイッチが入りましたね。



――不動産業界はいかがでしたか。


エンドユーザー相手の不動産売買仲介業で、初めてマイホームを買われる方のお手伝いしたり、銀行や弁護士さんと協力して地主さんの悩みを解決したりするのですが、とにかくお客様が喜んでくださるんです。観客が喜んでくれる音楽のためにチームで表現するバンドの世界と同じでした。いろいろな情報を得て、アンサーを出していく。


そうするうちに、自分の中でだんだん腑に落ちてきました。


約4年勤務し、おかげさまで在職半ばからは期の成績優秀者として何度も表彰されるようにまでなりました。


父には時折報告していたのですが、「それだけできるなら、そろそろうちに来るか」と言ってくれました。不動産業者のスキルと経験を身につけたと、父なりに認めてくれたようです。


当時、応援してくれる同僚・業界仲間やお客様も多くいましたし、一部上司からは「こんなときに辞めるのか、来期の数字はどうするのか」と責められました。数字を担っている責任もあり申し訳ないと悩みましたが、中途半端な想いで続けるよりは、スパッと辞める決意をしました。それまで親に頼ることなく、家業のことも周囲に話していなかったので、退職するときに打ち明けたら驚かれました(笑)。



■ビルオーナーという「不動産仲介とは逆の立場」

髙木秀邦氏



――ビルオーナーは、同じ不動産業界でもだいぶ違いますよね。


当時すでに「髙木ビル」は創業50年ほどで、積み上げてきた慣習がたくさんありましたから、最初は古い世界に戸惑いました。


今まで営業マンとして最前線でお客様と触れ合ってきたのに、急にお城の堀の内側で本丸に座るみたいな(笑)。古くから働いてくれている社員も、「次期社長は奥の方に座って見ていてください」という感じでした。それが当たり前だったのでしょうし、会社を守ってきてくれた社員たちにとって、僕を守ることが会社を守ることになりますから。


でも、僕からすれば、血の通った仕事とは思えませんでした。仲介業者に対しても、絶対的なオーナー条件を提示し、合わないなら入居してもらわなくてもいい、という殿様商売のように感じていました。どこか違和感をもちながらも、「こうやって生き残ってきたんだな」と納得し役割を演じている面もありました。


不動産業界は、騙し騙されが当たり前の世界だったんです。バブルの前後で、同業者は9割くらいいなくなっていましたから。しかし、そういった慣習を守るだけではこれからの10年後、20年後に価値を残すことなどできるわけがないと思うようになりました。



――バブル崩壊やリーマン・ショックを乗り切ったのは、お父様の時代の手腕ですね。


当時、父は石橋を叩いても渡らないという経営方針で、「意気地なし」と言われるほど挑戦をしない人だったそうです。バブル期はいくらでも銀行から融資が受けられる時代で、借りるのが常識だったのですが、父はそれを疑っていました。若いころから税理士をやっていて、「そんなに借り入れるのは会計上おかしい」という感覚があったようです。


髙木家代々のお墓には300年、400年前の先祖も眠っているのですが、地主として守ってきた土地を農地改革で9割取られていますから、祖父は「無理するな、残せるものは全部残しておけ」とずっと言い続けていて、父もその教えを守りました。周囲には海外のホテルを購入した同業者もたくさんいましたが、そのような誘いには一切乗らなかったそうです。そうして今の髙木ビルを守ってきたのです。



――今、その立場にいたら、同じようにされますか。


そこまでやりきれるか分かりません。しかし大事なことは、時代をどう生きていくか、ということです。父は、当時に当たり前だと思われていたことを「本当にそうなのか」と疑って、しっかりと自分で判断しました。時代が変わって、今、保守的なビル経営が当たり前になっていることに、それでいいのかと私は危機感を持っています。このままでいけないのではないか、新しい「不動産の価値」とは何なのかと考えるようになりました。



■ワークとライフの一体化によって何が起こるか

髙木秀邦氏



――2019年4月に社長に就任。新しい試みを始めていますね。


きっかけは社長就任よりも随分前、2011年の東日本大震災でした。従来は、危機に直面したからか、とにかく我慢してつぶれないように生きながらえようというやり方、負けないことが勝ちという考え方をしてきました。「我慢するしかない」というのが父の意見でしたが、僕は我慢するだけでいいのかと考えました。自分たちの価値をどうやって創っていけばいいのか、いろいろ悩み考えました。


最初はなかなかやりたいことが理解されませんでしたが、座して死を待つだけだからチャレンジさせてほしいと、ベンチャー企業・成長企業を支援する「次世代型出世ビル」や、成長型フリーワーキングオフィス「BIRTH」といった新しいプロジェクトを立ち上げました。貸ビルという形態を越えて、われわれの想いを表現したかったんです。


「次世代型出世ビル」というのは、賃料保証会社等と連携し、都心のオフィスビルへ入居を検討するスタートアップ企業を応援する仕組みを作りました。敷金を半額にし、事務所を構えるコスト負担を減らし、ベンチャーの支援を応援するというものです。



――「BIRTH」は今でいうコワーキングスペースですね。


当時、業界でそういったものを提供しているところはまだそう多くはありませんでした。東京オリンピックの2020年開催も決定して、景気も少し良くなってきた頃です。起業が増えシリコンバレーのような場所ができる機運が高まっていましたが、それは敷金とか賃貸契約、原状回復という古い不動産賃貸の慣習とはマッチしないと思ったんです。そこで、そういう部分をスムーズにして企業成長を邪魔しない形が支持されるようになるだろうと考えました。


不動産業界の慣例には良い面もあるけど、それだけでは企業の在り方に対応できなくなっていくだうと感じました。今までの方法を否定するのではなく、新しい理想をどのように作れるかということが大切なんです。



――コロナ禍によって、人々の生活変化が加速しています。


今、日本は、生き方や働き方、通勤とオフィスなどのパラダイムシフトに直面していると思います。家でも働かなきゃならない、会社には集まれない、でもサードプレイスがない。今までのスタイルの範囲外にあるものが急に必要になっています。


「BIRTH」のようなコワーキングプレースは10年かけて文化の醸成とともに増えていくと考え、3年ほど前から着手していたのですが、コロナ禍によってそれが早回しでやってきた感じですね。「BIRTH」で試した様々なことが、今後だんだん広がっていけばいいと思います。


これまでは、オフィスと家、「ワーク」と「ライフ」で切り分け、そのバランスと取るという二元論でした。今起こっているのは、バランスを取るのではなく、ワークとライフが一体化したために、その間の場が必要になっているということです。会社でも家でもない場所で働かなければならないということ、ワーク・ライフという二元論のバランスではなく、ワークとライフがグラデーションになっているんです。そのグラデーションのどこに自分のマイプレースを作るか。


ある人にとっては毎日会社に行く必要ないし、ある人は1日数時間しか会社にいない。枠にはめる必要がなくなった。今までとはまったく異なるオフィスや、定義することが難しい新しいコミュニケーションゾーンなど、それぞれのマイプレースが必要になってきています。



「住むオフィス」×「働く住まい」というコンセプトのマンション「BIRTH IN-RESIDENCE 麻生十番」[外部リンク](※)

「住むオフィス」×「働く住まい」というコンセプトのマンション「BIRTH IN-RESIDENCE 麻生十番」[外部リンク](※)



2020年7月にオープンした「BIRTH IN-RESIDENCE 麻布十番」は、マンションだけどオフィス利用も可、という施設です。1階には厨房設備もついたフリーコミュニケーションスペースがあり、ミーティング利用やイベント利用も可能です。「働く家」でもあり「住むオフィス」でもある、シームレスな場所です。そのように自分に合った使い方をできる不動産がこれからは求められると思います。ダイバーシティを支える様々な場所が社会に増えていく。


賃料で稼ぐ不動産の価値ではなく、いろいろな方に楽しんでもらえる不動産の価値。その街にないものを持ってきてチャンスを作ることがバリューになります。自分が面白いと思ったことに掛け算していくのが、僕の新しい不動産のスタイルです。



――現在の情勢を悲観していないのですね。


悲観はまったくしていません。むしろ新しいチャンスだと捉えています。いつの時代も危機を強く乗り越えることが日本人の強さでもあると思っています。東日本大震災のときも、どうやって新しいことを生み出すか、みんなで考えて乗り越えてきました。コロナ禍を乗り越えることでまた強くなれる、もっと新しいことができるようになると思います。


たとえば「食×不動産」。緊急事態宣言の期間、麻布十番髙木ビルの「BIRTH LAB」は休館していたのですが、お店を開けなくなったシェフにゴーストキッチンを貸し出し、ビルの前でテイクアウト弁当販売を実施しました。近隣の方も応援してくれて、売り上げも好調、そのシェフは現在銀座でレストランをオープンしています。実は、そういうことがあるかもしれないと思い、リノベーション工事の際に飲食店舗もできるようにビルを設計していたんです。不動産で様々な表現の可能性を想像していたからこそ、いざ機会があればすぐに実現できる土壌ができていたんです。



――今仕掛けていること、あたためている構想を教えてください。


不動産を作って場所を貸して単に利益を得るより、地域の方々により利用してもらいたいと思っています。日本にもっと元気になってほしい。若い世代、とくに子どもたちが学べる場、交わる場を作りたい。2019年にも、「BIRTH LAB(麻布十番)」で東京都の起業家教育プログラム「起業・創業ラボ」を開催して、たくさんの高校生たちが来てくれました。


子どもたちには大人たちが真剣に仕事しているところを見てほしいんです。仕事をやらされて目が死んでいる大人を見たって、やりたいことなんて思いつかないでしょうから。生き生きして輝いている顔を見せないと、子どもたちも輝く未来を作ってくれないですよ。それを教育業界ではない不動産領域からやってみたいですね。



髙木秀邦氏

髙木秀邦氏





髙木氏は、起業家や若手のビルオーナーの間では"兄貴分"と慕われている。髙木氏が次々に繰り出す「新しい不動産の価値」が社会に広がれば、旧態依然とした不動産業界にも新しい風が吹く。今後の展開が楽しみだ。






プロフィール


髙木 秀邦 (たかぎ ひでくに)

株式会社髙木ビル 代表取締役社長

早稲田大学商学部卒。ミュージシャン、不動産仲介業を経て、家業である髙木ビル入社。3代目代表となる。東日本大震災を機に、「不動産の新しい価値」を創造し、不動産を利用した様々なプロジェクトを通し、「日本を元気にする」ことを目指す。


株式会社髙木ビル[外部リンク]



編集・文・撮影:アスクル「みんなの仕事場」運営事務局 (※印の画像を除く)
取材日:2020年7月22日

         

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