平山美聡氏(株式会社NOMAL 副社長/アート事業代表)
日本ではアートは身近なものとは言えず、美術展などに足を運ばなければ触れることができない「芸術」だ。自宅に飾る絵を買う習慣もあまり根づいていない。そんな中で、オフィスの壁にアートを取り入れる企業が増えているという。オフィスアート事業「WASABI」を展開する株式会社NOMALの平山美聡氏によれば、アーティストが壁に絵を描くミューラル(壁画)は、日本ではまだ目新しいが、海外では身近な文化だという。より多くの人が身近でアートを感じられるオフィスアートの世界について伺った。
― 今の事業を始めたきっかけは?
私は2016年まで資生堂に勤めていて、営業や広報などを担当していました。アート活動は当時からしていましたが、まだ趣味の範囲でした。退職する前に1カ月ほどサンフランシスコに滞在したときに、アートと人の距離の近さを感じたことが起業のきっかけになりました。日本ではアートに触れる機会は少ないですよね。絵を買う人はごくわずかです。ところが、サンフランシスコではアートがとても身近にありました。
― どんなふうに身近なんですか。
例えばマルシェで絵画が売られていたり(笑)。扱いは雑かもしれませんが、野菜を買うように絵画を買えるんです。また、ミューラル(壁画)というものを初めて観て、街並みに圧倒されました。カフェや服屋さんの店内に当たり前のようにアートがあって、言わば見応えのあるカフェ兼ギャラリーという感じでした。日本でもそんなふうにアートが身近になればいいのにと思いました。
― 起業して始めたことは?
当時はまだ現代アートのサイトが少なかったので、絵画の通販サイトを始めることにしました。作品は神戸で一緒にやっていたアーティスト仲間に声をかけました。やりたかったことは、日本人でも一生に1枚以上は絵画を買う文化を作ることです。高尚なアートではなく、もっと気軽なものにハードルを下げたかったんです。
― 通販でアートを買う時代ですね。反応はどうですか。
初年度よりかなり伸びています。安い買い物ではないので、複数の角度から撮影した画像を載せたり、直感的に大きさが分かるようにインテリアと合成した画像を掲載したりしています。公式LINEに部屋の写真を送っていただいて、そこにマッチする絵をお勧めするカウンセリングサービスも提供しています。
― アートへの関心は高まっているのでしょうか。
投資目的で絵画を購入する方はもともといましたが、コロナ禍を経て、一般の方もアートを購入するようになってきました。リモートワークが増えたために、自分の好きなもの、好きな空間にこだわって家の中を整えたようになったのではないしょうか。
― どんな絵を選べばいいかわからない方も多いのでは?
アートは何か機能があるものではなく、優劣はないんです。好きか嫌いかだけです。提案したアートが直感に刺さったら買っていただけます。最近は花の絵を一品買いされる方が多い傾向があるとか、そのような売れ筋とかトレンドはありません。作品は一点ものが多いので出会いも一期一会です。家には飾りやすいということから、A4、A3サイズのものが多く出ますね。
― オフィスアート事業「WASABI」を始めた理由は何ですか。
通販では1対1のリーチですから、もっとたくさんの方にアートやアーティストのことを知っていただけるビジネスモデルはないかと模索していました。そんなとき、会社員時代、オフィスにアートがあったらいいなと思っていたことを思い出したんです。多くの方々に効率よくアートを観てもらうためには、たくさんの人が働いているオフィスにアートを導入することが近道だと考えました。それで、オフィスにアーティストが出向いて壁にウォールアートを描く事業を2018年頃にスタートしました。
― どのような企業がオフィスアートを依頼するのでしょうか。
企業から直接ご依頼をいただく場合は、オフィス移転などのタイミングで、会社の理念やビジョンを社員に浸透させたいという目的があることが多いですね。コロナ禍などで事業や働き方が変わったことで、方向性やポリシーを一新するというケースです。
― 大きなアートを展示する場所というと、エントランスなどをイメージしますが。
来客用にエントランスに飾るのではなく、社員のモチベーションを高めるために執務エリアに導入したいという企業が多いです。フロア面積が広いオフィスでは幅10メートルにもなることがあります。壁に直接描くことで空間の一部になります。壁があれば導入できますから、ワンルームのオフィスも大企業のオフィスも面積に関わらず手がけています。
― コロナによる影響は受けましたか?
不要不急なものではありませんから、私たちとしては危機感を持っていましたが、オフィスが、それまでの作業場からコミュニケーションの場と変わり、出社の機会な貴重なものになったことで、出社時には自社らしさを感じてほしいという企業側の要望と、当社のオーダーメードシステムがうまく合致しました。コロナを経て、変わろうとしている会社が多いという印象です。
執務エリア等に描かれたウォールアート(富士通株式会社)(※)
― 制作はどのように進めるのですか。
クライアント様や、オフィス設計会社の方と打ち合わせて進めます。「派手すぎないように」とか、「社員みんなから受け入れてもらえるように」とか考えてしまうと、結局、アートでなくても壁紙でいいのでは、ということになってしまいますから、アートを導入する理由を考えることが大切です。
― なぜアートを導入するのか、ということですね。
何かを変えたいという理由が多いです。お客様にはよくこんな話をします。全員がその絵を好きになることはないかもしれません。気が散ったり、気に入らなかったりする人もいるでしょう。でも、そこにアートが存在することによって、「私はこの絵が好き」「自分は嫌い」といったコミュニケーションが生まれることに価値があるのです。実際の反応も、空間が明るくなった、社員が会社にポジティブな印象を持つようになった、コミュニケーションが増えた、など全般に好評です。
― 完成したオフィスアートにはどんな効果があるのでしょう。
完成してみると、アーティストが実際にその場に滞在して描きますので、ただ壁紙を貼るのとは全然違うエネルギーがかけられています。できていく過程でのアーティストとのコミュニケーションや導入過程にも価値があります。働く方々がアーティストと交流することで生まれる価値観もあると思います。アーティストと働く人の交差点とでも言いましょうか。
― アーティストはどうやって決めますか。
お客様のニーズを汲み取ってアーティスト提案するのはもちろんですが、この人の作品だとより面白さが出るだろうというアーティストも提案しています。
― 面白さ?
例えば、その企業のそれまでのイメージとギャップがある方。例えば保守的な企業だったら、保守的な画風のアーティストだけでなく、あえてポップなアーティストを入れたりするわけです。そういうアーティストが選ばれれば、企業の幅広さ、ギャップを演出できます。
ライトハウステクノロジー・アンド・コンサルティング株式会社のウォールアートを制作中のアーティスト岩切章悟氏(※)
― イメージが合わないといったことは起こらないのでしょうか。
完成した作品に対して、ここの色を青にしてほしいなどという要望は、デザインの領域になります。アートはデザインとは違いますので、アーティストを決めたからにはアーティストの感性を信じてくださいと言っています。
― 何を描けばいいのか、アーティストが悩んだりしませんか。
アーティストはその企業のことを理解する必要がありますから、そのために、アーティストも同席してワークショップを行います。業種や業界によって歴史も社風も人もさまざまです。表に出てこないようなことや、言葉でカテゴライズできないこと、どういう社員さんが多いのか、社員さんはこの会社のどういうところが好きなのか、といったことなどをそのワークショップから汲み取って、何を描くかというヒントを得ます。
― どんなワークショップでしょう。
通販サイトに掲載している絵をカードにして配り、「今の会社を表す美術展をみんなで作ってください」というワークを社員の皆さんでしてもらいます。それができたら、「では10年後の会社を表す美術展を作ってください」と続けます。今と10年後のギャップ、つまりなりたい方向がそれでわかるわけです。それを埋めるためにアートを作るわけです。
ワークショップの様子(※)
― 難しそうですね。うまく選べますか。
皆さん、なかなか選べないので、事前にアイスブレイクしてアートを選ぶことに慣れてもらう工夫をしています。「アートは見慣れていなくて」「詳しくなくて」という方が多いのですが、アートはリテラシーではありません。その時の直感で何を選んでもいいんです。言葉が先に立ってしまうと、どうしても頭で考えてまとめようとしてしまいますから、「絵で表すならこうだよね」と先にビジュアルを選んでもらいます。そうすると議論が活発になり、ちょっとエモーショナルなことも言えるようになります。
― どうしたらアートを楽しめるようになるのでしょう。
コロナ禍を経て、自分がどうありたいか、自分はどんな空間で働きたいか、ということを選択できる社会になりつつあります。これはアート業界にとってチャンスだと思っています。
アートは好き嫌いで選んでいいものです。そもそも自分が何を好きで何が嫌いかわからなかったり、その絵がインテリアと合うかどうか不安だったりするかもしれません。でも、そこは本当に考えなくていいのです。
平面アート以外にも、立体作品やテクノロジーを使った作品もあります。刺繍を天井に取り付けたりするものもあります。そういうことを知るためには、たくさんのアートを見なければなりません。美術展に行ったり、アーティストの友達がいたりすると、きっとアートが身近になります。ワークショップでも言うのですが、周囲と同調する必要はありません。アートが完成した後に「俺は嫌いだ」と言ってもいいんです。
― なるほど。
仕事が忙しくて、アートのことを考える暇などない人もいるかもしれません。でも、イノベーションが生まれるときというのは、ただ考えるだけでなく、毎日働いて蓄積した左脳的なものと自分が好きな右脳的なものがパッとつながったときだと思います。
これは別にアートでなくてもよくて、帰りにちょっと寄り道してみたり、いつもと違うことをしてみたりして、「自分はなぜそれを選んだのか」と後で考えてみると、直感力も強まります。自分の些細な好き嫌いに敏感になってみてください。
― 今後の展望を教えてください。
最初に言ったように、当社の最終目的は、誰もがアートを買う世の中になることです。アーティストのことをちゃんと知って、自分の家にこのアーティストの絵を買おうということが気軽にできる世の中になればいいなと思います。
地方でもアートの需要は増えています。オフィスにビジネスパーソンとアーティストの交差点が生まれることは素晴らしいと思うので、WASABI事業とともに、街のパブリックな場所にもアーティストが作品を作る機会もどんどん増やしていきたいと思っています。
※
地方でも需要が増えているという通販アートやオフィスアート。アートには何の機能もない。ただ鑑賞するためにある。ごく一部の愛好家のためだけでなく、オフィスや街の駅、病院などのパブリックスペースにアートがある社会は、文字通り、彩り豊かな社会となるだろうと考えさせられた。
プロフィール
2015年設立。「チャレンジする人の、背中を押す事業を創り続ける」をミッションに掲げ、アート事業「WASABI」、お笑い芸人の生活を支え、夢が叶う瞬間を見届けるサバイバル型プラットフォーム「出囃子-DEBAYASHI」ほか様々なサービスを展開。
取締役/アートライフスタイリスト。1988年生まれ。東京都出身。慶應義塾大学環境情報学部卒業後、株式会社資生堂勤務を経て2016年4月より株式会社NOMAL取締役副社長就任。
株式会社NOMAL https://nomal.jp/[外部リンク]
WASABI https://wasabi-artdesign.com/[外部リンク]
編集・文・撮影:アスクル「みんなの仕事場」運営事務局 (※印の画像を除く)
取材日:2022年4月26日
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