長谷川たかこさん(エッセイスト、通訳・翻訳家)
下がり続ける日本の出生率を尻目に、フランスでは合計特殊出生率は1.9、女性の就業率は80%以上、出産後の職場復帰は当たり前と言われています。なぜフランス人女性は出産後も仕事を続けられるのでしょうか。漫画「サザエさん」の作者長谷川町子の姪として知られ、二人のお子さんを育てながらフランスで働く長谷川たかこさんにお話をお伺いしました。
――パリに30年以上住まわれて、フランスの生活やフランス人との交流などに関する本を書かれていらっしゃいます。現在のお仕事の中心は執筆業でしょうか?
はい、webコンテンツ会社を運営していて、いくつかのサイトのコンテンツを書いています。本は目下4冊目が進行中、ブログは10年以上続けていて愉しんでやっています。その他には、美容関係の通訳、日本から研修で来る方を対象に同時通訳、あと去年から日本語の個人授業をやっています。生徒さんは2、3人しか取れませんが、楽しいです。
――以前はフランス企業に勤めていらっしゃった経験もあるとお伺いしています。
1989年から2000年まで、出版プロダクションをフランス人と共同経営して、バンド・デシネ(フランスの漫画)を日本に紹介する事業を行っていました。共同経営者は今の夫で、彼は今でも編集者としての仕事を続けています。
その後、インターネットのサイトやコンテンツを制作する会社で正社員として働きました。日本人をターゲットにフランスの観光情報を発信したり、フランスのメーカーやブランドを紹介したり。また、カルティエ、アヴェーヌなどの公式サイトの日本語版、ルイヴィトンやディオールの日本向けサイトも制作しました。そこは社員十数名の会社でしたが、社員の8割が女性でしたね。
2016年にそこを辞めて自分でコンテンツ会社を作り、今日に至っています。
――フランスは出生率が高く、また女性が出産後も仕事を続けるのが当たり前だとか。長谷川さんも働きながら2人のお子さんを産み育てられそうですね。
フランスでもここ数年出生率が下がっています。背景にあるのは経済的理由で、日本でも報道されている"黄色いベスト運動"に象徴されるように、貧富の差が開き、真面目に働いていても生活が苦しいという層が増えています。それでも出生率は1.9なので、日本の1.4に比べれば高いですね。
――出生率が高い、つまりフランスで女性が子どもを産みやすいのはなぜでしょう?
ひとつには、結婚が子どもを産むための条件になっていないことだと思います。フランスでは結婚せずに出産する女性が多く、それに対する偏見がびっくりするほどありません。
PACS(Pacte Civil de Solidarite 民事連帯契約)という社会保障や税法上で結婚と同等の権利を持てるパートナー契約もありますが、最近はそれさえもしない、ユニオン・リーブル(Union libre自由な結びつき)と呼ばれる同棲、事実婚のカップルが増える傾向にあります。ただしこれは大都市の傾向で、フランス全体では約70%のカップルは結婚という形をとっています。
――結婚という形を選択しない人はなぜ増えているのでしょう?
離婚するのが大変だということがあるでしょう。双方が合意していても、必ず弁護士を立てて司法手続きをしなければならないから。最近はオンラインで手続きをしてくれる弁護士もいますけど。それでもフランスの離婚率は高く、総計すると結婚カップルの45%が離婚しているそうです。また、因襲にとらわれたくないという理由で結婚という形を取らない人もいます。
90年に息子を出産して、息子が小学生の頃は同級生の親も結婚している人が多かったのですが、6歳下の娘の時代には、両親が結婚している家庭が少数派でしたから、ませた娘に「あなたたち、結婚しているなんて"遅れている"わね」なんて言われました(笑)。
余談ですが、日本では離婚経験者を"バツイチ"と呼びますよね。私は"マルイチ"と言った方がいいと思うんです。一度結婚して誰かと暮らすと、何より自分のこと、自分にどういう相手が合うかがわかります。その経験によって、パートナーの選び方や将来についての考え方などを再確認できます。一度も結婚も同棲もしたことのない人は要注意、というのがフランス人の一般的な認識だと思います。ちなみに私と夫は"マルイチ"同士です。
――"マルイチ"は面白い発想ですね。他に産みやすい理由はありますか?
高齢化社会を迎えて、税金、年金、医療保険の負担を考えれば、子どもを増やすことが自分たちの未来にとって大事なことだという社会全体の共通認識、理解が感じられます。フランスは現在65歳以上の人口が全体の23%、日本の30%に比べればまだ少ないですけれど。
具体的には、バスや地下鉄の中で、妊婦や赤ちゃん連れの女性がいると、我先に席を譲る光景がよく見られます。とくに若者がよく譲っているのは、教育の賜物でしょうね。
――フランスは、女性が子育てしながら働き続けられやすいような制度も充実しているのでしょうね。
はい、労働法で産休は16週間、産休中の解雇は禁止されていて、復帰後は同じポストに戻ることになっています。父親の産休は2週間です。育休は基本3年ですが、これを取得する人は非常に少ないですね、だいたい、産休後に職場復帰しています。
子どもは生後3ヶ月から保育園に預けることができますが、日本同様、保育施設不足はフランスでも問題になっています。2017年のデータでは、フランス国内の保育施設利用児童数は約43万6,000人。3歳以下児童数約230万人。オランド大統領は2016年に27万5,000人分増やすと公約し(そのうち10万人分は保育園)翌年9,000人分増えました。以来増え続けていますがまだまだ足りません。ただ、フランスは3歳から幼稚園に入るので、これは3歳未満の子どもの数です。日本は平成30年の保育施設利用児童数が261万4,405人ですが、その半数が3歳児以上です。日本の総人口がフランスの約2倍であることを考えても、フランスの保育施設数は十分とは言えず、保育ママやベビーシッター、両親の手助けを利用しながら仕事に復帰する親も少なくありません。
公立保育施設の保育料は親の収入に合わせたスライド制で、両親の収入合計が手取り2,000ユーロなら保育料は月240ユーロ、4,000ユーロなら480ユーロになります。このスライド制は給食、小学生の学童保育、林間学校の費用などにも適用されます。
――日本にくらべて子育てにお金がかからないようですが、教育費はどうでしょう?
公立であれば、授業料は幼稚園から高校まで無料です。国立大学の授業料も日本にくらべれば破格で、大学は初年度170ユーロ、次の年から113ユーロ。大学院は243ユーロ、次の年から159ユーロです。娘は地方の美術大学に進学したので、教材費、住居費、さらにパリに帰省するための交通費などがかかりました。もちろん私立校に通わせれば桁違いです。ちなみに児童手当は第二子から月額131.5ユーロで、18歳になるまで支給が続けられます。
――子どものいる女性に理解を示すという共通認識は、仕事の場でも感じられますか?
子どもができれば定時に帰るし、子どもが病気やケガをすれば休んだり早退する。会社にとってありがたいことではないかもしれませんが、その権利を認めているし、職場にもそれを受け入れる空気があります。日本との大きな違いはその空気ではないでしょうか。上司や同僚の顔色を窺うことなく「帰ります」と言える空気。
これは女性に限らず、男性社員にとっても同じです。実際、父親も育児をよく手伝います。保育所の送り迎えをする父親も多いですし、「妻、パートナーよりも家事や育児にかける時間が多い」という男性が27%という統計結果もあります。もっとも、それは同じことをやっても女性より時間がかかるからじゃないかと思いますけど(笑)。とくに育児に関しては、義務感からではなく、子育てを自分でやりたいと思う父親が多いように感じますね。
――そうした空気の中では、たしかに女性も仕事を続けられやすいですよね。
フランス女性の就業率は80%を超えています。女性自身が、仕事をしたい、仕事をしている境遇が理想的であると考えています。
第一の理由は経済的自立という自由です。自分の欲しいものを自分の稼いだお金で買える自由。それから、もし夫やパートナーとうまく行かなくなっても別れることができる自由、つまり、経済的理由によって結婚や同居の解消を諦めなくていいということです。
それから、フランス女性は、社会と関わり続けるほうが人間として魅力的と考えます。男性も働く女性に魅力を感じる人が多く、自分の妻、パートナーに生き生きとしていてもらいたいので働き続けてほしいという意見が多いですね。実際にカップルの両方が仕事を持っていた方が経済的にも豊かだし、共働きはカップルが長続きする秘訣にもなっていると思います。
ちなみに、隣国ドイツでは、専業主婦の割合がフランスの3倍ですが、出生率は日本とあまり変わりません。女性が仕事をせずに家庭に入れば子どもができる、という説は成り立たないということです。
――フランスには、働く女性が子どもを産んで育てられる条件がたくさん揃っているようですね。
17~77歳のフランス人女性を対象にしたアンケートで、「女性の幸福にとって一番大切なものは?」という設問に対する回答結果は、1・子ども、2・家族、3・パートナーでした。
フランスは不況が続いていて、仕事に関してはいつ失業するかわからない、カップル生活においても関係が破綻する心配もある。そういった状況の中で、子どもは確かなもので、自分という存在の"港"になると考えるフランス人が多いようです。
2017年に行われた調査結果で、子どもが欲しくないと答えた人は女性4.3%、男性6.3%でした。
――日本では、経済的不安から子どもを持つことを諦める人も少なくありません。
すでにお話ししたように、たしかにフランスには働く女性が子どもを産み育てやすくする労働法や施設が整っています。また社会全体に、子育てするカップルを応援する空気があり、経済的に豊かでないカップルでも、子どもが欲しいと思えば作れる環境があります。
でも、外的環境だけでなく、フランス人のメンタリティにも原因があると思います。
――というと?
私は日本企業と取引をする仕事も多く、日本のワーキングウーマンたちと接する機会も多いのですが、日本は、他人の目に縛られて思うように行動できない、言いたいことが言えない、人生における選択の自由度が低い、と感じます。
キリスト教のヨーロッパ社会では、神の前においては皆一個の人間という考え方から、個人主義が発展しました。一方、日本社会では集団を重んじて和を大切にするため、個が埋もれてしまいます。
でも、日本は、欧米のスタイルや価値観を取り入れて近代化した国です。そしてテクノロジーなども進んでいるし、食文化も世界的に評価されているし、文化レベルも高く、生活水準、教育水準も高い。にもかかわらず、個人の意思、意見は二の次にされる。もっと自己主張したらいいのに、と思います。同時に価値観、考え方が変わることの難しさを感じます。
――フランス人女性の方が選択の自由度が高く、仕事と子育ての両方を手に入れられる?
フランス人女性たちも天から降って来た自由を謳歌しているのではなく、それは自分たちで勝ち取って来たものです。また、自由と表裏一体の"責任"を自分で取る姿勢も持っています。
たとえば日本でブームの"婚活"。経済的安定を得るために、稼ぎのいい男性と結婚して専業主婦になることを目的に、婚活に励む女性がいますよね。かたやフランス人は、恋多き国民ですから、まず恋に落ち、一緒に暮らしはじめ、子どもが欲しければ作る。それと自分がやりたい仕事やプロジェクトは別物と考える人が多いです。結婚は人生の形態であり、目的ではないのです。
2019年の世界幸福度ランキングで日本は58位、フランスは24位です。フランス人はいつも不平不満を言っていて、鬱になる人も少なくないわりには、案外幸せを感じている人が多いのだと思いました。自分のやりたいことをやって自由に生きているという満足感が、そこに反映されているのかもしれませんね。
一度しかない人生ですから、まず自分が何をしたいかを明確にして、そこから仕事、結婚、出産といった選択肢が生まれるのではないでしょうか。
――アスクル「みんなの仕事」でお気に入りの記事を教えてください。
立川談慶氏のインタビューが好きです。
物事を、ちょっと距離を置いて見たとき生まれるユーモアって、いろいろな状況や人間関係の潤滑油になると思います。マジメ過ぎると、距離を置くのが難しい。
「日本人は勤勉でマジメだから、失敗できない、負けられない、成果を出さなければならない。それ自体が間違っているとは思いませんが、何ごとにも限度というものがあります。皆が残業しているから一人では帰りづらいとか、会社に認められていても育児休暇は取りづらいとか、それが成果に直結するでしょうか。もう窒息寸前です」。
「ビジネスパーソンの「マジメの呪縛」を解く、ゆるい落語の世界観 ~落語家 立川談慶氏インタビュー~」より
共感です。
フランスの例に戻ると、彼らは「自分がいなくても会社は回っていく。でも子どもにとって自分は代替えのできない母(父)である」と考える。これ、真実じゃないでしょうか?
長谷川たかこさん(雨上がりのパリにて)
一見おっとりされている印象ですが、ご自身の意見をきっぱりと話される長谷川さん。やはり長い間フランス生活を送っていられるだけあって、フランス人女性的な意思の強さが感じられます。制度や施設の充実も大切なことですが、メンタリティの面でまず日本人の考え方が変わらないと、子どもを産みやすい状況を作り出せないという話に、ハッとさせられました。
プロフィール
エッセイスト。通訳・翻訳家。
漫画「サザエさん」の作者長谷川町子の姪。13歳の時にフランスを訪れた時に「この国に住もう!と決心して、その10年後に夢を果たし、以降パリに在住。バンド・デシネ(フランスの漫画)やフランスの自然派コスメを日本に紹介する仕事に携わる。一男一女の母。エッセイストとしても活躍し、ブログにフランス、パリの生活の様子を綴っている。
パリは恋愛教科書(共著 ワニブックス)[外部リンク]
ワカメちゃんのパリのふつうの生活(講談社)[外部リンク]
ワカメちゃんがパリに住み続ける理由(KKベストセラーズ)[外部リンク]
公式ブログ「長谷川たかこのパリにふつうの生活」[外部リンク]
編集・文・撮影:アスクル「みんなの仕事場」運営事務局
取材日:2019年6月12日
2016年11月17日のリニューアル前の旧コンテンツは
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