鈴木円香氏(一般社団法人みつめる旅 代表理事)
「ワーケーション」とはワークとバケーションを組み合わせた造語。当「みんなの仕事場」でも、セールスフォース・ドットコムの働き方や関係人口についての取材記事などで紹介しましたが、最近、こうした働き方が次第に現実感をもつようになってきました。長崎県の五島列島でワーケーション事業を企画運営し、書籍『どこでもオフィスの時代 人生の質が劇的に上がるワーケーション超入門』を上梓した一般社団法人みつめる旅の代表理事、鈴木円香氏に取り組みの内容や働き方に与える影響を伺いました。
――鈴木さんが五島列島と関わりを持たれたきっかけは?
2017年のゴールデンウィークに五島に移住した友人宅を訪ねたとき、こんなにポテンシャルにあふれる場所はなかなか見つからない、と感じました。私は学生時代から世界中を旅していて、ヨーロッパ、アジアを周り、編集者としてアフリカに行き、本を作った経験もあります。プライベートの旅行や仕事で様々な国を訪ねましたが、その中で一番面白いと感じたのが五島でした。
――どういうところに面白さを感じたのでしょう?
発展段階にあるアジア、アフリカの国に比べて、日本は経済的に成熟期にあり、「お金以外の幸せって何だろう?」と考えるフェーズにあります。離島は課題先進地域ではあるけれど、「お金で買えない幸せ」がたくさんある場所だと感じました。実際、五島の人口は1955年をピークに減少が進んでいましたが、近年では働き盛りの20~30代を中心に年間200人超が移住しており、2019年度には65年ぶりの「社会増」を記録しました。新しい幸せのかたちを求めて移住して来る人が多いのです。
五島列島は、九州の最西端に位置する「国境離島」。福江島、久賀島、奈留島、若松島、中通島など、大小約150の島々からなる。(※)
――豊かな自然に惹かれて、ということでしょうか。
はい、リゾート開発されていない手つかずの自然の風景が残っています。0から新しいものを生み出せる可能性に満ちた場所だと直感し、ワクワクしました。地理的には東アジアの中心に位置していて、中国に渡る遣隋使、遣唐使の最後の寄港地だったという歴史もあります。
――五島での活動を始めたのはいつ頃ですか?
2018年5月10日(五島の日)に、現地の写真家・廣瀬健司さんたちが撮影した作品をまとめて、五島列島の魅力を伝えるフォトブックを出版しました。『みつめる旅』というのはその本のタイトルで、それを見て五島に興味を持った方たちとのご縁が広がり、2019年にBusiness Insider Japan主催でワーケーションの前身となる「リモートワーク実証実験」を行いました。
廣瀬健司さんのフォトブック(みつめる旅 ホームページより ※)
――どのような実証実験ですか。
海辺のバンガローを1ヶ月間借り切って60数名の方が参加し、潜伏キリシタンの歴史に触れるツアーやマインドフルネス研修を行ったりしました。運営は大変でしたが、そのときに事務局を務めた者や当時五島に総務省から出向した官僚などがメンバーとなって、2019年7月に一般社団法人みつめる旅を設立しました。みんな今でも本業を持ちながら、ただただ五島が好き、という気持ちで、副業として運営に携わっています。
――みつめる旅の主な活動はワーケーション事業の企画運営ですね。あらためて、ワーケーションの定義を教えてください。
ひと言で言えば、自分のモチベーションが一番上がる場所を探し出すための人生のロケーション・ハンティングです。自分の心が踊る場所はどこにあるか、自分がそこで一番やりたいことは何か、ということを見つけるためのロケハンなのです。今までのビジネスパーソンは、働く場所が決まっていて、住む場所も通勤に便利という条件で決められていました。ワーケーションは自分の身の置き場所について考える機会になります。
――コロナ禍を機にリモートワークが進み、場所の制約がなくなったことで、自分のいる場所を見直すようになったと。
みつめる旅を立上げたコロナ前の2019年夏には、こんな状況になるとは想像もできませんでした。「今、自分がどこで過ごしたいかを考えてみましょう」という問いは、当時には簡単に受け入れられるものではなかったのです。でもコロナ禍でみんながそれを考えざるを得なくなった。すごい変化だと思います。
――具体的にどのようなワーケーションを企画運営されているのですか?
五島市と協力して実施しているワーケーションイベントは、2週間から1ヶ月という期間の中で、3泊4日以上で自由に参加できるスタイルです。これが2泊3日だと、「海がきれいで食事がおいしかった」という観光旅行で終わってしまいます。しっかり有給休暇を取って時間的にも自己投資をして、観光で訪れただけでは分からない五島の魅力を発見してほしいのです。1週間の滞在を推奨していますが、現在、参加者の平均宿泊数は6.3泊です。
「一般社団法人みつめる旅」のホームページ(※)
――どのような方々が参加していますか?
コロナ前はフリーランスや自営業者が多く、有休を利用して参加する会社員は少数派でしたが、コロナ以降は会社員が劇的に増えました。ただ、その4割は意思決定層のビジネスパーソンで、「働き方改革」に携わっていたり、人事部の方だったり、というワーケーションの視察目的の方々が多いです。ファミリーで参加される方も増えてきました。
――参加すると、どんな体験をできるのですか?
知的好奇心の強い参加者が多いので、そういう方たちが満足できる取り組みを工夫しています。たとえば農作業、鮮魚の箱詰め、五島うどんの製麺作業などを体験できる「島しごと体験」とか。ファミリーでの参加者は、地域の保育園の一時利用や、小学校への体験入学なども設計しました。「島の保育園ってこんなに広いのですね」と都会との違いに驚かれる方もいました。
――地域の人々と交流できる機会も
コロナ前は参加料500円で、一品持ち寄りの「ポットラックパーティ」を開き、地域の人と交流してもらいました。かしこまった意見交換会やアイデアキャンプでは、「地域の課題とは何か?」というかたくるしい質問や、表向きの意見しか出なかったりしますが、気楽なパーティなので雑談ベースで本音で語り合えます。
さまざまな交流もワーケーションの醍醐味。(見つめる旅 ホームページより 撮影:廣瀬健司 ※)
――地域の人たちも参加者にオープンなのですね。
移住者の方たちが中心となって、オープンな雰囲気ができています。参加者にはワーケーション開始数ヶ月にSlackに登録してもらうのですが、そこに事務局や、五島市役所の担当者、地元の代理店やホテルの方など、プロジェクトに関わる人もみんな登録しています。Slack上で事前の説明会やその他必要な情報が案内され、質問への回答をもらったり、宿の手配もできます。この段階ですでにコミュニケーションが始まっているので、来島してからの交流はスムーズです。五島ファンのためのFacebookグループもあって、「今年もメロンが美味しいできたよ!」などいう島の方の投稿も見られるので、五島とのつながりをずっと保てます。
――ワーケーション後の参加者の感想は?
参加者にはヒアリング、アンケート、インタビューなどを行っています。参加したことで自分が置かれた状況を客観視し、進むべき方向が見えたという方が多いですね。その結果、転職したり、独立を決めたり、逆に転職するかどうか悩んでいたけれど今の会社でもう少し頑張ることにしたり。1週間あまり日常から離れて、島の人々や他の参加者たちとコミュニケーションし、さまざまな価値観にナマで触れる中で腹を決めて次に踏み出せるようです。
――ワーケーションの後で、実際に五島に移住したケースもあるのでしょうか?
移住となるとハードルは低くありません。私たちとしては、都心からの湘南や軽井沢のような移住先候補地に、ぜひ「五島」も一つの選択肢として加えてほしいというくらいのスタンスですね。ワーケーションからいきなり移住はあまり現実的ではないでしょう。
――ご著書では、ワーケーションにおける「偶発性」の大切さに触れていますが。
「偶発性」は、みつめる旅の立ち上げからキーワードにしている言葉です。仕事ができるビジネスパーソンほど、旅に出る前に予定をきっちりと立てて段取りをします。毎日の仕事でもそうしているので、ワーケーションも同じように考えてしまうのでしょう。でも、それでは、五島に限らず、旅先の偶然の出会いの可能性を削ぎ落としてしまうんです。
――段取り通りに進めることが目的になり、旅の醍醐味である偶然の出会いの機会を逃してしまう。
はい。たまたま定食屋で居合わせた地域の人に勧められて朝市に行くとか。本にも書きましたが、北海道の宿泊施設にいると、常駐している地域の人から鮭の遡上を見に行かないかと誘われたりする。そういう偶発性が起こる余地を残しておくことが、ワーケーション中の体験を豊かにしてくれると思います。
――コロナのせいで人と会うことが減り、新しい出会いの機会が減りました。
おっしゃる通りです。コロナ以降、多くのことがネット上で完結するようになり、リアルで人と会う機会がなくなった分、自分の生活の中に偶発性が生まれる余地がすごく減った。それをあらためてワーケーションで取り戻して欲しいのです。予定調和とは、自分の知っている価値観だけで構成されているものです。予想外の刺激を受けて、それ以外の価値観を見出したとき、これしかないと思っていた自分の人生にはこういう展開もあることに気づく。ワーケーションの中でそういう経験を繰り返した結果が"腹落ち"につながると思います。だから参加者には「段取りスイッチ」を入れすぎないようにしてほしいですね。
――『どこでもオフィスの時代 人生の質が劇的に上がるワーケーション超入門』の反響はいかがですか。
「この本を読んで、なぜワーケーションやテレワークをやらなければいけないのかという本質的な理由がやっとわかった」という感想をいただき、苦労して書いた甲斐があったと思いました。大企業の経営層の方からも「今度参加したい」「若手社員を参加させたい」などと言っていただきました。
――身の振り方に悩む20〜30代の転職予備軍ばかりではないのですね。
むしろ組織の意思決定層の人にこそ、ぜひ読んでもらいたいと思っています。おかげさまで五島のワーケーションにも意思決定層の方々の参加が増えています。
2019年に開催したBusiness Insider Japan主催「リモートワーク実証実験」のガイダンスの様子。たくさんのビジネスパーソンが「東京での働き方」を見つめ直すために集まった(※)
――アフターコロナに会社が社員をワーケーションに送り出していくためには、たしかに意思決定層の意識が変わる必要がありますね。今後はどのような展開を考えていますか?
一般社団法人みつめる旅のミッションは、一人一人が生きたい人生を見つけるための旅の体験を提供することです。今後は「みつめる旅」をテーマにしたワーケーションの次の展開、新しいスタイルを模索したいと思っています。夫婦やカップルのためのみつめる旅、オーバーフィフティのためのみつめる旅、シングルマザーのためのみつめる旅とか。実際に、島の人たちがシングルマザーに温かいからと母子で移住した例もあるそうです。
――ビジネスパーソン以外に広げていくということですか。
いえ、たとえば島では医療、保育、介護、医療分野の人材が不足していますから、そういった方々に「都市部で働くことに疲れたら島に移住してみませんか」と提案することも考えています。みつめる旅を通して都市部と離島のシナジーを起こしたいんです。都市部の人が人生をみつめる旅を通して生きたい人生を生き、島の人々も都市部から人が来ることで幸せになるという良い循環を作り出していきたいですね。
※
ワーケーションと聞くと、海辺のリゾートでノートパソコンに向かって仕事をするような漠然としたイメージしか持っていませんでした。しかし、本書『どこでもオフィスの時代 人生の質が劇的に上がるワーケーション超入門』を拝読し、鈴木さんのお話をお伺いし、自分に合う場所、本当にやりたいことを探すための、まさに自分を"見つめる"作業がワーケーションなのだと理解できました。
プロフィール
長崎県・五島列島を舞台に「価値観を揺さぶられる人生の旅」を提供することをミッションとする法人。本業では東京でIT企業社員、経営コンサルタント、広報PR、編集者兼プランナーとして働く4人が副業として設立。五島での地域共生型ワーケーション企画などを手がける。
「どこでもオフィスの時代 人生の質が劇的に上がるワーケーション超入門」(日本経済新聞出版社)[外部リンク]
公式ホームページ https://mitsutabi.jp[外部リンク]
編集・文・撮影:アスクル「みんなの仕事場」運営事務局(※の画像を除く)
取材日:2021年11月4日
2016年11月17日のリニューアル前の旧コンテンツは
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